今日、長野市内の中学校は、卒業式だった。
我が息子も、無事に中学校を卒業しました。
ご指導いただいた中学校の先生方に心より感謝申し上げます。
さて、息子は、今年度中学校で生徒会長だった。
卒業式では、答辞を読む予定で、高校受験前に、自宅で必死に内容を考えていた。
しかし、新型コロナウィルスの関係で中学校は休校。
そして、卒業式は規模を縮小しての開催へ。
在校生なし、来賓なし、保護者は生徒一人に対し一人のみ出席。
卒業証書はクラスでまとめて、代表者への授与。
そして、答辞も無くなった。
それを息子が聞いた瞬間、
チーン、、、
担任の先生が、ご丁寧に電話も下さった。
突然の休校だった。
休校が決まって、クラスで泣いていた子もいたと言う。
クラスメイトと、仲間と、中学校生活で最後の一番良い時間を一緒に過ごしたかった、と。
世の中、新型コロナ騒動で卒業式が短縮になったのは無理も無い。
今や世界規模の騒動になっているのだから。
私は、卒業式には参加できませんでしたが、この世の中の状況下で、卒業式が出来たこと自体、良かったと思っています。
中学校生活の最後の締めくくりですから。
開催してくださった先生方には、本当に感謝しています。
息子が帰宅すると、中学校から祝・卒業と書かれたお便りが。
先生方は、そのお便りに息子が書いた答辞も載せてくれていました。
お心づかいに感謝を申し上げます。
卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございました。
お世話になった先生方、本当にありがとうございました。
『 答辞 』
信州の厳しい寒さも和らぎはじめ、暖かな春の訪れを感じる頃となりました。
本日は、このような素晴らしい卒業式を行って頂き、本当にありがとうございます。
先月末、新型コロナウイルスにより、ここ、川中島中学校も臨時休校となり、卒業式も行えるのかわからない状況でしたが、諸先生方のご尽力のおかげで、無事に卒業の日を迎える事ができました。
この日を迎える事が出来たのは、日々僕たちを見守ってくれていた先生方をはじめ、保護者の皆様のおかげです。また、ここには出席できていませんが、一緒に学校生活を過ごしてきた後輩在校生の皆様に感謝を伝えたいと思います。改めまして、先生方、保護者の皆様、地域で関わって頂いたすべての方々、在校生の皆様へ、卒業生一同、心より感謝を申し上げます。
この卒業式までの一ケ月は特別でした。三年間共に過ごした仲間との貴重な残り一ヶ月を一緒に過ごせないと知り、とても悲しい気持ちになりました。僕たちは入学してから三年間共に多くの事を経験し、学び、体験し、大きく成長してきました。三年間の思い出は数えきれないほどあります。
皆さんご存じのとおり、僕は生徒会長を務めました。厳しい先生のもと、つらくて、落ち込んで、正直、生徒会長をやめたいと何度も思いました。川中祭を一週間後に控えて、生徒会室から三年五組の教室に戻り、涙した日がありました。クラスのみんなが励ましてくれました。前日までにリハーサルを重ね、準備をし、残り僅かな時間でのリハーサルの時、先生からの檄が体育館中に響きました。「こんなんでいいのか、みんなが楽しみにしているんだぞ」と。実行する過程で「良い考えが浮かばない、本番までに準備も間に合わないのではないか」、と不安だらけでした。
映像編集から始まり、タイムスケジュール、リハーサル、当日の流れ、全校の動きなど、多くの仕事があり、全てが間に合いそうにない状況でした。このまま本番を迎えてよいのか不安で仕方がありませんでした。追い込まれた僕たちは、先生と共に本気で作業に打ち込みました。そして迎えた川中祭当日、全校の皆さんのおかげで、大いに盛り上がりました。各クラスや学年が一つになり、響かせた合唱。一人一人の作品を鑑賞する学級展示。それらすべてが忘れられない最高の思い出となりました。みんなが楽しんでいる姿を見た時、今まで苦労してきた分だけ良いものが作れるんだと思ったら、自然と涙があふれてきました。
これは、僕が中学校生活で乗り越えた壁の一つです。ここにいる卒業生は、この三年間素晴らしい先生に学習面だけでなく、生活面でも多くのことを教わり、素晴らしい仲間と共にたくさんの困難を乗り越えてきました。だから僕たちは、これからどんな苦難や壁にぶつかっても乗り越え、自分の糧にできると思います。僕はそう信じています。
この三年間で学んだこと、経験したことを胸に刻み、もし、人生という大海原で道に迷ったときは、心のコンパスに従い、自分達自身の未来を、自分達自身で切り拓いていきたいと思います。躓いたら戻る場所がある。僕はこの学び舎で良い先生方、仲間に出会うことができて本当に幸せでした。
最後になりますが、ご臨席頂きました皆様のご多幸をお祈りし、川中島中学校の限りない発展を願い、挨拶と致します。本当にありがとうございました。
令和二年三月十八日
卒業生代表