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湘南ベルマーレ曺貴裁監督お疲れさまでした。曺さんに助けてもらい支えてもらって今がある。

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【2020年度 トゥラウムアカデミー・ジュニアユース新規生・体験練習会(現小学6年生対象)長野市サッカークラブ】

【トゥラウムアカデミー/ドイツサッカースクール スタッフ募集のお知らせ】

 

昨日、湘南ベルマーレの監督が退任されました。

 

 

私は、10年間ドイツで生活した。

湘南ベルマーレへの加入を機に、日本に帰国した。

 

日本の大学を卒業してからドイツへ渡り、語学学校、ドイツのケルンスポーツ大学に通い学んだ。

その後、ドイツのプロクラブでドイツ人を相手に仕事をした。

もちろん、クラブに日本人はいない。

言葉、文化が日本とは、全く異なる世界で仕事をしてきた。

 

ドイツへ渡ってから最初の3年は、日本へ一度も帰ってこなかった。

あの10年の間で、日本にプライベートで帰国したのはほんの数回。

私の生活習慣は、すっかりドイツ人なっていた。

 

10年振りに日本に帰国した直後、日本の生活に慣れるのが大変だった。

電話の応対。

車の左側走行の運転。

来客の応対。

食事習慣。

お酌の文化、等々。

ドイツとは全く生活習慣が違っていたので。

 

日本に生まれ、日本に育った日本人でありながら、日本の生活に上手く馴染めなかった。

当時、『自分は日本人なのか?』 と自問自答しながらの日々だった。

そのうち、頻繁にめまいがし、頭痛が止まらず、体調不良となった。

クラブから勧められた医者に行った。

診断結果は、適応障害。

ドクターの勧めで、クラブ、会社を約1か月半休むことになった。

クラブ・会社を休んでいた時に、『自分は日本社会に復帰できないのではないか?』 と不安にかられる毎日だった。

 

当時、家族には、『このまま日本の生活が無理だったら、また、ヨーロッパに戻ることになるかもしれない』 と伝えていた。

私の日本社会での生活は、切羽詰まっていた。

 

その時、寄り添い、支えてくれたのが、さんだった。

常に『大丈夫だ』 と励ましの声を掛けてくれた。

 

約1か月半の時を経て、何とか仕事に復帰した。

ドクターの指示を受け、ベルマーレでの自分の仕事は、全体の50%くらいから再開した。

さんは、いつも私を気遣ってくれた。

仕事をサポートをしてくれた。

さんは、私にとって精神的な支えだった。

そのおかげで、私は、日本で社会復帰できた。

 

もし、あの時、もし曺さんがいなかったら? と考えたら、私の今はないかもしれない。

多分、ヨーロッパへ戻っていただろう、と思う。

さんは、私にとって人生の恩人。

今も、感謝しています。

 

 

 

 

さんは、ベルマーレで15年間クラブの為に働いてきた。

私がベルマーレに移籍していた当時は、J2の中堅クラブ。

予算は、確か6億円くらいのちっちゃな市民球団。

事務所はプレハブ。

お客さんは、平塚競技場に5000人くらいしか集まっていなかった。

雨が降ったら3000人くらいだった。

そんな小さかったクラブを、曺さんは、何回もJ1リーグに押し上げ、また、残留もさせた。

昨年には、ルヴァンカップで優勝もさせた。

今では、スタジアムに1万人以上の観客が集まっている。

湘南スタイルを確立し、躍動感のある、アグレッシブなプレーに、お客さんが魅了されている証だと思う。

予算は決して多くは無いものの、J1のステージにいるクラブにまで押し上げた。

 

今まで、ベルマーレに関わった多くの選手、スタッフ、サポーター、スポンサーら関係者の功績ではある。

しかし、曺さんの力無しで、あのちっちゃなクラブが、今のベルマーレには至っていないと思う。

さん無しでは、今のベルマーレは語れない。

私はそう思う。

 

 

さんには、感謝の気持ちで一杯です。

さん、長い間、お疲れさまでした。

そして、ありがとうございました。

 

また、長野へ来てください。

お疲れ様会、やりましょう!

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