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AC長野パルセイロの田中謙吾選手がJ1リーグへ

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【トゥラウムアカデミー/ドイツサッカースクール スタッフ募集のお知らせ】

 

先日、電話があった。

AC長野パルセイロの田中謙吾選手(ケンゴ)から。

『 松本山雅FCへ移籍することが決まりました! 』

 

 

 

 

ケンゴに初めて出会ったのは、ドイツのミュンヘン。

たまたま私は、古巣の1860ミュンヘンを訪問していた。

クラブハウス内のカフェに入ったら、中に日本人が数人いた。

ドイツ・プロサッカークラブ施設内のカフェに日本人の集団がいるので浮いていた。

その内の一人が、ケンゴだった。

ケンゴは、当時、日本体育大学の学生。

研修でドイツへ来て、1860ミュンヘンを訪問していた。

 

 

一年半後、パルセイロのクラブハウスで、私を見る若者がいた。

『 こんにちは! 覚えていらっしゃいますか? 』

1860ミュンヘンで行き合った学生さんが、目の前に立っていた。

『 覚えてるよ !!! 』

ケンゴは、大学を卒業し、AC長野パルセイロと選手契約をした。

不思議なご縁だ。

私は、起業しパルセイロを離れたが、いつもケンゴを陰ながら応援してきた。

 

 

ケンゴから電話をもらい、彼に会った。

J3からJ1への移籍。

ケンゴにとっては、大きなチャンスだ。

長野県の中では、長野市と松本市は、ライバルで犬猿の仲だと言う人もいる。

しかし、松本市出身で長野市在住の私は、そんな事はどうでも良いと思っている。

ケンゴがチャンスを掴み、トライする事を応援する。

 

 

私は、1860ミュンヘンのコーチをしていた時、お隣のビッククラブのバイエルン・ミュンヘンからオファーをもらった。

1860ミュンヘンとバイエルンは、同じ町ミュンヘンにあるプロクラブ。

1860ミュンヘンは、世界的なビッククラブのバイエルンに対する敵対心は凄かった。

その敵対するライバルクラブから誘われた。

相手がビッククラブだけあって、私はとても悩んだ。

 

 

私は、1860ミュンヘンで多くの方々にお世話になった。

1860ミュンヘンは、私を指導者として育ててくれたクラブでもあった。

しかし、バイエルンという世界的なビッククラブで働いてみたかった。

私の親友たちに相談すると、皆、口を揃えて、『 バイエルンへ行くべきだ 』 と言った。

しかし、1860ミュンヘンへの恩と感謝が強くあり、バイエルンからのオファーを断った。

 

 

私は、ドイツ時代、1860ミュンヘンを貫き通した。

だから、日本へ帰国する時に、1860ミュンヘンから大きな感謝の証をもらった。

それに対して、やはり誇りを持っている。

あの時の後悔はない。

しかし、バイエルン行きを悩み、断った事を、今でも忘れない。

 

 

ケンゴにとっては、大きな決断だったと思う。

この決断は、彼の人生の1ページになるだろう。

ケンゴは、いつ何時でも、常に前を向いて行動する若者だ。

年はかなり下だが、そんな彼をいつも尊敬している。

彼の決断を陰ながら応援したい。

ケンゴ、頑張れよ!

 

 

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