2020年度 トゥラウムアカデミー・ジュニアユース新規生・体験練習会(現小学6年生対象)長野市サッカークラブ
75歳の親父と私の上高地男2人キャンプの最終日。
前日よりも更に天気が良くなった。
キャンプ場から、穂高連峰をキレイに眺めることが出来ました。
青い空に聳える穂高連峰は、絶景です!
あまりにも良い天気で、心地良い。
思わず、胸を開いて深呼吸。
澄んだ空気は、心も体も健康にしてくれる気がします。
西穂高岳、真ん中に奥穂高岳、前穂高岳、右に明神岳。
写真では、残念ながら、なかなか伝わりませんが、雄大です。
人間は、ちっぽけだと思ってしまいます。
だからこそ、みんな良い人材になろうと日々努力。
自然の中にいると、発想も豊かになりますねぇ。
キャンプをしていた多くの人々が、この梓川のほとりにシートを広げていました。
そこで、モーニングコーヒーを飲んだり、朝食をとったり。
ただ、この山々を眺めているだけですが、飽きない。
不思議ですね~。
だから、ずーっと山を眺めてました。
こうして眺めていると、やはり頂上まで登りたくなりますねぇ。
また、必ず頂上からの壮観な眺めを楽しみたいですねぇ。
その後は、河童橋周辺を父親と散歩。
河童橋と穂高岳をバックに一枚。
観光名所で、だれもが写真に収める景色です。
ここは、上高地の入口。
バスセンターから歩いて数分なので、どなたでも来ることができます。
登山装備も必要ない。
だから、多くの観光客で賑わっていました。
晴れれば、見応えのある景色が広がります。
梓川沿いの遊歩道沿いに、穂高連峰の山々の紹介看板。
私には、北アルプスを熟知しているガイド(父親)が一緒だった。
だから、この看板と本物の山と見比べながら、更なる説明が始まる。
父親の説明は分かりやすく、詳しかった。
だからか、この看板を見に来る登山客、観光客の皆様も、さりげなく立ち止まって、父親の話を聞いていました。笑
こちらは、焼岳。
活火山。
現在も、地震では無いものの空震があるようです。
まだまだ、山が生きている証拠です。
散歩の後は、テントの撤収作業。
テント設営場所は、林の中。
木々に包まれて、穏やかな時間を過ごしました。
上高地の小梨平キャンプ場は、居心地の良い場所でした。
ゴミ一つ落ちていないように、全てを片付けた。
次に使用する人が、気持ちよく使えるようにする。
当たり前の事ですが、大切な事です。
先週は、丁度ドイツサッカースクール(長野市)が休みの週でした。
トゥラウムアカデミー・ジュニアユースも、中学生たちが学校祭で忙しく、また、テストも近い為、急遽休み。
たまたま連休がとれたので、実家の畑の手伝いに行った。
そんな中、父親と2人で雑談中、上高地へキャンプに行こう! となった。
突然に、降って湧いた話だった。
私は、キャンプの準備など何もして行かなかった。
だから、寝袋、ダウンなどなど、全てのキャンプ道具は両親からの借り物。
そんなこんなで、急遽、上高地へ。
思い立ったら吉日。
来て良かった。
そんな父親は、高校時代、山岳部に所属。
当時、母校のベースキャンプが、ここ上高地の小梨平キャンプ場内にあったという。
約50人が寝ることができる巨大なテントを建てて、ベースキャンプにしていたらしい。
父親は、高校3年間、大学4年間の夏を、ここのベースキャンプで過ごしていた。
だから、上高地は全て熟知している。
当時、槍ヶ岳で日が暮れてから、下山することに。
もちろん携帯電話など無い時代。
槍ヶ岳山荘から、上高地で母校山岳部OBが経営している宿に電話をして、ベースキャンプへ22時くらいに到着することを伝える。
すると、父親たちが電話した相手のOB社長さんが、ベースキャンプに伝言してくれた。
父親たちが真っ暗の中、上高地のベースキャンプに22時くらいに到着すると、ベースキャンプにいた仲間たちが夕食を準備してくれていたそうだ。
腹を空かして、下山してきた父親たちは、OBの社長さんと仲間たちのサポートのおかげで至福の時を過ごす事ができたらしい。
父親の上高地思い出話は、まだまだたくさんある。
キャンプ中、たくさんの話を聞くことも出来る。
そんな上高地を知り尽くしている父親は、私にとっては、最高の上高地ガイドでした。
75歳になり、かなり耳が遠くなってきた父親だが、まだまだ一緒に歩くことができる。
私の名前は、岳生。
岳(山)のように生きる。
忙しい日々であるが、また父親と北アルプスの絶景を見に行こうと思う。