かつて俺が働いていたプロクラブで小学生のコーチをしていた時、選手のお父さんから質問を受けた。
父、 『 コーチ、クラブのトレーニングが無いオフの日は、練習はどうしたら良いですか? 』
俺、 『 (クラブで)平日に2日、週末に1日もしくは2日、トレーニングと試合をやっているから、それで十分です。
オフの日には、お子さんの好きなようにさせたら良いですよ 』
父、・・・・・・・ 『 そうですか、じゃー、走りに行かせたら良いですか? 』
俺、 『 走りに行かせる? どうしてですか? 』
父、 『 はい、息子をプロ選手に育てるためには、走りに行かせた方がいいですよね! 』
お父さんは、かなり息子に対しての一生懸命さが伺える。
が、しかし・・・
俺、 『 オフの日に、無理やり走りに行かせても、本人のやる気がなければ、あまり意味無いですね 』
父、 『 じゃー、何もさせなくて良いんですか? 』
俺、 『 はい、本人のやりたいことをさせたら良いと思います。彼は、小学生ですし 』
父、 『 じゃー、本人がサッカーをやりたいと言ったら? 』
俺、 『 本人が望むのであれば、やれば良いと思います。自分で好んで、やる気でやるならば、ポジティブで自分の身になりますよ 』
父、 『 !!!分かりました。!!! 』
会話が終了。
お父さん、かなり鼻息があらい!
大丈夫か?と、子供のことよりも、お父さんの事が気になった。
約1ヶ月が経ったある日、トレーニング終了後、そのお父さんの子供(A)を呼んだ。
俺、 『 おーいA、オフの日は何してるの? 』
A、 『 サッカーのトレーニングしてます 』
俺、 『 へー、すげーな、休みの日に。何処でやってるの? 』
A、 『 近所の小学校で。 』
俺、 『 すごいね。それ以外は? 』
A、 『 走りに行ってます。 』
俺、 『 へー、すごいね。 』
『 どうして、そうしようと思ったの? 』
A、 『 はい、お父さんにやるように言われてます。 』
俺は、思った通りの答えだと思った。
俺、 『 へぇー、お父さんに言われてるんだ。 』
A、 『 はい、お父さんにプロになる為にやれって言われてます。 』
俺、 『 そうか、友達と遊びに行きたくないの? 』
A、 『 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 』
言葉が無くても、本音が言えない子供の困った表情が、すべてを語る。
俺、 『自分がやりたかったらトレーニングしたり走りに行けば良いけど、やりたくなかったらやらなきゃいいじゃない? 』
『 友達と遊びに行きたければ、遊びに行けばいいんだよ 』
A、 『 遊びに行きたいけど~・・・・・・ お父さんに言われてるから~・・・・・ 。 』
かわいそうだなと思った。
子供は、まだ小学生。
子供がサッカークラブに通うのは、もちろんサッカー選手になりたいと言う夢を持ってやって来る子が多い。
しかし、最近の傾向は、親が頑張りすぎてしまう傾向にある。
もちろん、親は子供に夢を叶えて欲しいと願うのは当然だ。
しかし、親が、息子をプロにしたい。
これは、親の夢だ。
親が息子に夢を見る。
息子がプロになるためにどうしたら良いのか、と親が頑張りすぎた挙げ句に、子供に強制的に「やりなさい!」と言う命令になっていく。
人間、誰しも思うだろう。
「やりなさい」と強制されれば、嫌になる、反抗したくもなる。
子供の夢がどんどん夢でなくなる可能性がある。
夢であり、好きなことだったはずなのに、だ。
親は子供に自分の夢を押し付けると、ろくなことが無い。
子供は、完全にやらされているロボットと一緒だ。
親は、子供に任せる勇気を持つ。
どうすれば上手くなるか?
どうすれば自分の夢を叶えられるか?
子供なりに考えさせればいい。
親の意見を強制しない。
じっと、じっと子供を見続ける。
簡単に子供に助言して、強制的に「やらせる」行為よりも、我慢して見守ることの方が労力を使うだろう。
しかし、子供は明らかに成長するのだ。
親は、子供以外に自分の夢を探し、やりたいことを探し、自分の事に取り組めば良い。
親が、自分の趣味を持ち、自分の人生を楽しめば良い。
大人は、大人の世界を楽しめばよい。
そうすれば、大人を見て、子供も自分でやりたいことをやる。
結果、子供にも、大人にも笑顔が増えるのだ。
お父さん、そんなに子供に頑張らなくていいんです!
子供の笑顔のために・・・ね。
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