先日、東京で、ある少年サッカー大会のテレビ中継解説を担当した。
テレビ中継は、大会の決勝戦。
両チームの子供達が決勝戦らしく必死にプレーしていた。
決勝は、勝てば嬉しい優勝カップを手にする。
どちらのチームの子供達も、スタッフも、是が非でも勝ちたかっただろう。
決勝とはそういうものだ。
そんな中、実況さんが監督さんの試合前コメントを語った。
監督さんは、『 子供達が自分の持っている力を発揮してほしい 』とコメントしていた。
今、少年サッカーの試合、大会等で勝つために加熱する指導者や保護者が多い。
チームの勝利が目的になってしまっている為、試合結果のみが評価対象になっている。
指導者が、勝つ為に手段を選ばないというチームもある。
選手である子供達を、将棋の駒のように使う指導者もいる。
そして、観戦している保護者も興奮して、誹謗中傷発言も多々ある。
相手チームの選手への非難、レフリーへの文句と、多岐にわたる。
相手チームの選手といっても、彼らは小学生だ。
保護者によっては、チームメートの非難もすることがある。
それは、すべて大人のエゴだ。
そして、その大人を見ている子供は、同じことをする。
チーム関係者の大人が、多々誹謗中傷しているチームの子供達は、試合中に劣勢に立たされると、必ずピッチ内でミスをした仲間を攻め立てる。
大人は、子供の鏡だ。
子供はなぜサッカーをするのか?
それは、サッカーが楽しいからだ。
子供がサッカーの試合を楽しんでいる時に、まわりに関わる大人が誹謗中傷していたら、子供にとって楽しい場になるのか?
プレーをしている子供自身が誹謗中傷されたら、楽しいものも楽しくなくなる。
子供は大人たちの私物ではない。
サッカー少年たちに夢を聞けば、プロサッカー選手、日本代表選手と言う子がほとんどだろう。
サッカーの試合は、子供達が夢に近づくための手段だ。
試合に勝つことだけが目的になるのではなく、子供達がサッカーを通して成長していくことが目的だ。
試合は、その為の手段に過ぎない。
試合に100パーセント勝ち続けることはない。
試合に勝って学ぶ事。
試合に負けて学ぶ事。
だからこそ、その都度子供たちの成長の為にその経験をどう生かすのかを、大人はたくさん考える必要がある。
こうやって、子供も大人も成長する。
少年サッカーの現場では、関わる大人が、試合、大会は、子供達の楽しむ為の場であることを認識するべきだ。
そうすれば、サッカーが嫌いになる、という子供は出てこないはずだ。
少年サッカーは、子供達に、夢と楽しさを与える場だ。
『 子供達が自分の持っている力を発揮してほしい 』
これが出来たら、試合に勝っても負けても、子供を褒めることだって出来る。
また子供たちが試合したくなる、もっとサッカーが好きになるように。